協同組合京橋鉄友会の存在意義は、組合員同士の「親睦」です。 組合員皆様が各事業に参加することで「和」が生まれ「絆」が深まります。 今後とも当組合への御理解と御協力をお願いします。
東京の鉄商の源流は、神田岩本町から日本橋堀留町に至る幅員10m足らずの「大門通り」と言われてます。明治初期から関東大震災までの約50年間、この通りには「京安」加藤安五郎、「紀の半」浅井半七、「鉄屋」梅岡平七らの店が軒を競い殷賑を極めていました。
また少し離れた本材木町(江戸橋)には、我国最古の鉄問屋である 「今津屋」 7代目森岡平左衛門が威容を誇ってました。しかし大正12年9月の関東大震災以後、水路の便がより良く地価が安かった京橋八丁堀界隈に鉄商たちが移り始め、やがては神田に劣らぬ鉄屋街をかたち作っていくのです。
現在の京橋鉄友会の前身である「京橋区鉄商組合」は大正7年春に創立しました。
初代組長に就いたのは、岡谷(現在の岡谷鋼機)東京出張所所長の加藤謹之助氏でした。
2代目は大野興業の大野宗太郎氏、3代目は入丸産業(現在の日鐵商事)を開店した富田三之助が務めました。
昭和26年6月 | 有志10人ほどが世話役となり、京橋鉄友会が結成された。 |
昭和27年1月 | 第1回定時総会および新年会を鋼材クラブにて行なう |
昭和36年6月 | 創立10周年記念パーティを新橋クラブにて行なう |
昭和37年4月 | 青年部創立総会を鋼材倶楽部にて行なう |
昭和45年11月 | 創立20周年記念パーティを椿山荘にて行なう |
昭和52年2月 | 京橋鉄友会を協同組合化することを臨時総会で決定する |
昭和55年10月 | 創立30周年記念パーティを八芳園にて行う。 |
平成2年10月 | 創立40周年記念パーティを明治記念館にておこなう |
平成8年9月 | 鉄砲州のマンションの1室に事務所を移転する |
平成13年6月 | 創立50周年記念パーティを東京會舘にて行う |
平成23年6月 | 創立60周年を迎えるも、東日本大震災の影響で帝国ホテルでの記念パーティは中止とする |
初代(昭和26年〜36年) | 本間梅吉 | 本間商店 |
2代(昭和36年〜51年) | 大川辰夫 | 芝浦シヤリング |
3代(昭和51年〜平成元年) | 吉岡幸男 | 中央鋼材 |
4代(平成元年〜7年) | 中村昌夫 | 中村鋼材 |
5代(平成7年〜9年) | 大川宏之 | 芝浦シヤリング |
6代(平成9年〜13年) | 久富順平 | 中央鋼材 |
7代(平成13年〜平成17年) | 佐藤芳丸 | 佐藤鉄鋼 |
8代(平成17年〜平成19年) | 掛布誠治 | 宮田鋼材 |
9代(平成19年〜平成23年) | 田中義昭 | 新建商事 |
10代(平成23年〜平成27年) | 中村昭夫 | 中村鋼材 |
11代(平成27年〜令和1年) | 市野勝晶 | 入船鋼材(株) |
12代(令和1年〜令和5年) | 神島 勉 | 千曲鋼材(株) |
13代(令和5年〜 ) | 大川伸幸 | 芝浦シヤリング |
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